原付のたびにあこがれて、カブで京都まで、放置バイクで全て解決

学生時代にホンダのカブで地元静岡から京都まで旅をしました。
「水曜どうでしょう」という番組のコーナーの一つに原付の旅にあこがれていて、大学卒業の思い出作りの為にカブで友達のいる京都まで行こうと思い立ちました。
旅に出る前にカブのオイル交換のためオートバイ屋さんで話を聞くと、「事故じゃない限り普通に走っていればカブは壊れることはないよ。大丈夫だよ!!」
という言葉を聴いて安心してスタートすることができました。
朝出発して夜に到着することを目標にしていました。約350キロの道のりなので、何もなく走れば12時間ぐらいで着くかなくらいに思っていたのですが、
走り始めて5時間ぐらいの名古屋を走っていたお昼ごろに僕のお尻は悲鳴を上げていました。座っているだけで痛くて痛くて、信号待ちをするたびに立ち上がって
しまうというなんとも情けない姿をさらしてしまいました。カブの長時間の運転にはなれていなかったのです。
それでも時間的には順調にきたことと、名古屋ではご当地の味噌煮込みうどんを食べたことで、復活してカブの旅を進める事ができましたが、
この旅の一番の難所は四日市から滋賀へ抜ける国道一号線の道でした。この山間路線は日をくれるとともに交通量がかなり多く、
片面1車線道でカブの横を大型トラックが横を走り去っていくという、国道か?と思うような道で、恐怖を抱いて走っていました。
今思えば場違いなのは私のほうだったのですが、山間路線がおわりびわ湖が見えたときの安心感はこのカブの工程において一番の自分のなかでの感動シーンでもあります。
結局京都付いたのは出発してから14時間後でした。京都を観光するというよりは、カブの移動を愉しむという目的で、しかも達成感もありました。
大きいバイクで高速を使用して移動するという快適感や疾走感というものはないのですが、景色をみながら、時には路面電車と走りながらゆっくり長距離を移動するのも
オートバイの一つの愉しみ方なんだなと勉強しました。
いろいろなオートバイにものりましたが、カブは自分にとっての一番の相棒でした。
結婚を気にオートバイを手放してしまい所有していませんが、もう一度カブを所有して時間の気にしない旅に出たいなと思い描いています。

学生時代の思いで バイクサークル

私は現在48歳になる男性です、普通のサラリーマンです。
今ではバイクに乗ることは全くなくなってしまいましたが学生時代は車を買うお金もなかったのでもっぱらバイクライフを楽しんでいました。

高校生の頃は免許をとることすらご法度の厳しい時代だったので卒業して大学生になってから晴れてバイクの免許を取り私とバイクとの付き合いが始まりました。

大学は地元を離れて東京のはずれにある学校に進みました。
兄のお下がりのバイクスズキガンマ250が最初のバイクでした、大学二年になる時に友人に誘われてバイクサークルを立ち上げることになりました。

私はバイクが好きでもマニアックにメカのことやバイクレースのことなどの知識はほとんどなくただ気持ちよく乗れればいいくらいに思っていたのでバイクサークルという話しは正直少し尻ごみしてしまったのですが。

それでも参加することにし春に新入生を勧誘して20人くらいの部員が集まったでしょうか。
大学のバイクサークルとして学校にも正式に認可され活動が始まりました。

バイクサークルなので主な活動はツーリングです、ほとんどは200キロほどの日帰りにちょうどいい距離を無理なく走るというものでした。
夏には合宿として泊りがけで日光まで走りに行ったりもしました。

こうしたツーリングの中でも当時大きな事故もなく無事に活動できていたのが今思えばなによりです。

大学4年の時に学生主催のバイクレースにサークルで参加することになりました。

バイクレースといっても当時流行っていた50CCのミニレーサータイプのバイクでサーキットを走るというものです。
レースは6時間の耐久レースでライダーは何人交代してもいいという緩いルールでした。

私もこのレースでサーキットを少し走らせてもらい今となっては楽しい思い出です。

このように学生時代はいつもバイクを中心に自分の世界が回っていたような気がしています。

前述したように今ではバイクに乗る機会はないですがまた不意に乗りたくなる日がくるのかもしれません。

バイク 放置

あこがれの750ライダーになる。バイクが大好きです

私は現在48歳になる男性です。

普通の会社員です、今はバイクにな乗っていませんがこれでも若い頃、学生時代はいつもバイクに乗っていました。

私の高校生の頃はバイクに関してはまだかなり厳しく、いわゆる3無い運動というのでしょうか 免許を取らない、バイクに乗らない、バイクを買わないという時代でした。

そんな時代なので私がバイクの免許を取ったのも高校を卒業してからの大学一年の冬休みだったと思います。

二つ違いの兄が車を買ったので持っていたオートバイ スズキガンマ250をお下がりでくれたのでしばらくはそれに乗っていました。
ガンマはツーストロークということもあり250CCといえどなかなか速いバイクでそれなり良かったのですがやはり次第に最新型のバイクが欲しくなりました。

バイトで少しづつお金を貯めてヤマハのTZR250というバイクを始めて自分のバイクとして中古ですが買うことができました。

性能はガンマとくらべて大きく違うわけではなかったのですがやはり自分で買ったバイクということで愛着がわきこのTZRは大学4年の春まで乗りました。

そして大学4年になる前にどうせバイクに乗るなら皆から注目されて尊敬される大型バイク(当時は限定解除)と呼ばれた免許を取ろうと決心しました。

当時はこの免許は教習所ではとることが出来ずに運転試験場での実技試験に合格しなければ取得できないかなり難関なものでした。

それでも学生時代でなければ出来ないことなので専門の練習場で大型バイクに慣れてから試験を受けました。

しかし本当にこれは難しい試験でした、自分ではうまく行ったと思っても中々合格できずになかばあきらめかけていたのですが。

粘り強くに試験を受け続けてついに18回目の試験で合格をして大型バイクの運転免許を取得することができました。

免許を取りすぐにTZRは後輩にゆずり目をつけていたホンダCB750FBを購入、晴れて憧れの750ライダーとなることができました。

もう20年以上も前の懐かしくも楽しかった私とバイクの記憶です。

kdx125SRのリアタイヤ交換に挑戦

リアタイヤはミシュランのAC10の100/100-18 M/C 59R TTです。まずはサイドスタンドをかけて、リアタイヤのナットについているベータピンをペンチで引き抜いてから、24mmのメガネレンチでナットを取り外します。次に車体をジャッキアップして浮かせます。チェーンが緩むようにスイングアームの前方にタイヤを移動させて、チェーンをリアスプロケットから外します。そしてリアタイヤの下に足を差し込んで、アスクルシャフトに負荷がかからないようにしてから、アスクルシャフトを引き抜きます。するとタイヤが落ちてきて、リアホイールを取り外すことが出来ます。
次にリアスプロケットやリアブレーキディスクが傷つかないように、新しく買ったタイヤの上にリアホイールを重ねます。エアバルブキャップを外して、ムシ回しでバルブをっ緩めてエアを抜きます。このとき全部外してしまうと空気圧でバルブが吹っ飛んでしまうので、無くさないように注意してください。
次に12mmのナットでエアバルブを固定しているナットを取り外します。ビード周りを手で押してホイールとタイヤのビードが密着している部分を引き離します。タイヤの表と裏両方とも行いました。続いてタイヤレバーを差込み、チューブを引っ掛けないように注意しながら、ビードをホイールからめくっていきます。片側全てめくれたらチューブを隙間から引き抜きます。チューブを抜いたら力技でタイヤとホイールを引き離します。
次に外したタイヤを下敷きにして、新しいタイヤを置いてホイールを上において、片側のビードをはめ込みます。手ではまらない場合はタイヤレバーを使います。はまったらホイールを裏返して、チューブバルブをバルブ穴に通しながらチューブをタイヤとホイールの隙間に差し込んでいきます。全て入ったら、チューブをいずつけないように注意しながらタイヤレバーを使って、ビードをホイールの中にはめ込んで行きます。全てはめ終わったら、空気入れで空気を入れて、ホイールとビードが均一に密着するまで空気を入れます。
ホイールとビードが密着したら空気を一旦抜いて、ムシ回しでバルブを取り付け、ナットでバルブを固定して、規定空気圧を入れたら車体にホイールを装着して完成です。
チューブバルブをホイール穴に通す作業以外はスムーズに作業できました。

不注意による出合い頭事故について

学生だった頃バイク通学を行っていました。時間がない時にバタバタと家を出て近道をして通学をしていました。だいたい学校まで1時間しないくらいで、この近道をするからといって10分も早くなることはなくせいぜい信号一個止まるかどうかの差でした。ですが、朝ともなるとその一つが遅刻に関わってくるもので時間を持って家を出ればいいものではありますが、なにせ朝なのでギリギリになることは仕方がないことだと、と思っています。
普段通っていた近道というものが小道から片側1車線道路を直進して向かいにある小道へ入っていくというものでした。小道から突っ切る時には止まれの標識があります。朝の時間帯なので左へ進む道は信号待ちの車で混んでいて右へ進む道は空いているという状態でほぼ車は通っていない状態でした。
そしてある日いつも通り小道を通って近道をしようとして止まれをいったん停止し、右方向の道が混んでいるのを見て車の間を抜け右方向の車がいないことを確認し直進しようとすると、確認が甘かっのでしょう。右からトラックが来ていました。トラックの右側と私の乗るバイクが衝突し転倒をしました。幸いお互い命はありましたが、私は左鎖骨を骨折し全治1ヶ月の診断をされました。
事故の後、病院へ救急車で運ばれました。治療を終えて痛み止めをもらい家路へ着く時、バイクの任意保険に入っていたので会社へ連絡し今後について話をしました。事故の時警察の方にも来ていただいていたので後日自分で警察署へ行き事情聴取をされました。道路状況や何キロ出していたか、の聴取の後、もしあと少しでも飛び出ていたら引かれて死んでいたかもしれない、などとお話され今き生きていることはありがたい事だと感じました。
保険会社さんとは何度かお電話でお話をして警察で話したような道路状況などの書類作成をして病院への通院記録の作成、その他もろもろ何枚もの書類を作成し提出をしました。私側の保険会社さんと相手側の保険会社さんで話し合いを進めてもらい割合を決めお支払い。
ケガも完治まで3ヶ月かかり、保険会社さん同士の話し合いも難航し結局全てが終わったのが半年後でした。
学校の友達や両親、当時勤めていたアルバイト先、いろんな方に心配をかけてしまいました。もう交通事故はこりごりなので近道をする事をやめました。バイクに乗る事は好きなのでやっぱりやめられないです。安全運転さえすれば事故は起きません。

陸上自衛隊を辞めたいので彼女と相談して退職したい

私は、陸上自衛隊に勤めてから鬱病のような状態になってしまいました。分単位でスケジュールが決まっており、朝も早く、暑い日でも寒い日でもよっぽど体調が悪いときでないと休むことができないので、毎日がとても大変でした。
陸上自衛隊に勤めた理由は、収入が安定していて、いろいろな資格を取ることができることだったのですが、毎日がこんなに厳しいとは思っても見ませんでした。
さらに、上下関係が厳しいということも私にとってとても大きなストレスとなりました。先輩に言われたことは絶対なので、断ることができないので、訓練など以外の時間でも逃れることができません。
そのうち慣れるさという気持ちで数ヶ月はがんばってきたのですが、そろそろ限界なので辞めたいと考えているのですが、今辞めてもまだ資格も取ることができていないことや、退職したいけどその後の生活のことなども考えるとどうしても退職することができません。
更に、陸上自衛隊を辞めたい理由が最近になってできてしまいました。それは、集団的自衛権行使容認です。訓練の幅が広がるだけではなく、海外に派遣されてしまう可能性も高くなってしまいます。現在、結婚を考えている彼女もいるため、海外派遣で数年くらい派遣されてしまうと、彼女との関係にもヒビが入ってしまうのではないかと心配しています。いくら仕事のためとはいえ、結婚を目前にして海外にいかなければ行けなくなったら、私が彼女の立場になったとしてもいやですし、さらに、集団的自衛権行使容認によって、いろいろと陸上自衛隊がすることができることも増えるということは、その分、危険も増えてしまうということにもなるので、私はまだ死にたくないし、海外なんかにも派遣されたくありません。
これを機に、退職を本気で考えております。彼女ともよく相談しながら、今後陸上自衛隊を続けるか、新しい仕事を探すかを決めて、最終的な身のふりを決めていきたいと考えております。

退職を本気で考えているなら絶対に転職活動を始めた方が良いです

自衛官におすすめな求人を見て、東京の株式会社で働き始めました

私は自衛官として働いていたのですが、1年前に辞めてしまいました。本当はもっと続けたかったのですが、体をケガしてしまい、これ以上自衛官としての任務に就くことができなくなってしまったのです。上司からは、とても惜しい人物を失うことになって残念だと言われました。それだけ評価されていたのは驚きでした。今後別の仕事をがんばってやることで、恩返ししていきたいと思いました。私は東京で仕事を探したいと思っていました。インターネットの転職サイトを利用することにしました。転職サイトのトップページに自衛官におすすめな求人というバナーがあったので、クリックしました。元自衛官という人が働いているところの特集がやっていました。私はものすごく心強い気持ちになりました。仲間ががんばってやっているということは、自分もできると思ったのです。ある株式会社の求人に目がとまり、応募してみました。ありがたいことに採用してもらえたのです。今ではがんばってやっています。

自衛隊に入隊するとバイクの持ち込みが禁止されています。ということはしばらくの間、バイクは放置しないといけなくなりますね。

くるまたかし

陸上自衛隊に高卒で入隊、任期満了につき就職援護を利用

陸上自衛隊に高卒で入隊しました。特に日本国の防衛の燃えて入隊したわけではなく、池袋駅で自衛官を募集・採用する地方連絡部の自衛官にスカウトされ入隊したのです。地方連絡部の言うことは、自衛隊について何一つ悪いことは言わず、「金が貯まる」とか「資格が取れる」とか「規則正しい生活で、体が鍛えられる」とか良いことしか言いません。一般人を勧誘して自衛官にするのが、彼らの仕事だから当たり前ですが、地方連絡部の自衛官も、一般の駐屯地から転属した自衛官なのです。健康診断と体力測定と誰でも受かる学科試験を受け、晴れて自衛隊に入隊すれば、新隊員教育が待っています。新隊員教育は前期と後期に分かれ、両方とも3か月ずつの計半年間で、自衛官の基礎を学びます。前期は関東の場合、横須賀の教育隊で訓練を受けます。列を組んでの歩き方、小銃の取り扱い、戦闘訓練、自衛官の心構えなどを教官について20人くらいの班に分かれて学ぶのです。後期は、自分が派遣された駐屯地で教育を受けます。自分は特化と言って大砲を打つ部隊に所属になったので、ほとんど毎日大砲の扱い方を学びました。大砲の重さは、6トンあり、大砲の球が43kgありました。しかし、駐屯地の生活は、一般人からしたら未知の世界で、全寮制で申請して許可されない限り、外出は出来ないので、団体生活が苦手な自分は、精神的苦痛がありました。任期満了するためには2年勤めなくてはならないので、歯を食いしばって頑張りました。陸上自衛隊を除隊するためには、就職先が決まっていないと除隊させないので、業務隊である就職援護に頼んで、次の就職先を探してもらいました。自衛隊には、様々な役割をする部隊が揃っているので、さすが特別職国家公務員だと思います。

陸上自衛隊を辞めて転職サイトを利用し大卒求人探し

大学を卒業しても就職がなかったので、私は陸上自衛隊に入隊しました。公務員なので給料も安定しているし、なんとなく楽そう、という気持ちから入隊してしまいました。でも、すぐに後悔しました。陸上自衛隊は、高校を卒業してから入隊している人が多く、自分の先輩は全て年下でした。さらに、その年下から指示されることにだんだん嫌気がさしてきました。もちろん、失敗するとその年下に怒鳴られるのです。先輩だから仕方がないということはあるのですが、毎日その年下から怒鳴られ、ストレスがたまり毎日イライラがたまるようになってきました。こんなことではいけないと思ったので、私は思い切って転職をすることにしました。せっかく大学を出ているので、転職サイトを利用して、大卒の求人を探しました。すると、結構いい条件の求人がたくさん揃っていました。こんなに条件のいい求人がたくさんあるんだ、と感動しました。私は陸上自衛隊に退職届けを出し、転職サイトを利用して転職をすることに成功しました。私は、車を製造する会社に就職しました。小さな職場ですが、地元では結構人気な会社でした。陸上自衛隊を経験しているということから、厳しい場所で数年働いたことがあるという点を評価してもらえ、採用してもらえたようです。すごく嬉しかったです。陸上自衛隊は、かなり厳しい職場でしたが、そこで大変な思いをした分、新しい会社では少々のことでくじけることもありません。毎日とても楽しく働いています。大好きな車を関わる仕事ができているので、すごく嬉しいです。これからもこの仕事を続ける予定です。結婚も決まったので、さらに幸せを感じています。陸上自衛隊を辞めてよかったです。

陸上自衛隊からの転職先を転職サイトで見つけました

陸上自衛隊として6年働きました。でも、もう限界がきてしまいました。毎日こんな仕事ばかり嫌だと思ってしまいました。デスクワークは全くありません。毎日ひたすら訓練です。三ヶ月山の中にこもることもあります。三ヶ月は家に帰ることができません。そのため、彼女にも振られてしまいました。彼女に会えることだけを楽しみにして、山にこもって仕事である訓練を頑張っていたのに、結局はこの仕事のせいで彼女に振られてしまったのです。こんな思いをして働いているのに、なんでこんなに辛いことばかり起こるんだろうと思っていました。もうこの辛い生活に終止符をうつためには、転職しかないと思いました。転職をしたら、こんなに辛い気持ちになることはないと考えました。陸上自衛隊を辞めることを家族や上司に伝え、私はすぐに転職サイトを利用して次の仕事を探しました。私は、車が好きなので、車関係の仕事に就こうときめました。車の営業なら、私の長所を生かしながらすることができそうだと思ったので、車屋さんに就職しました。転職サイトには、とてもいい転職先がたくさんあり、転職活動もかなりスムーズにできました。転職サイトには、面接のノウハウも書かれていましたし、履歴書の書き方も丁寧に説明してありました。そのため、はじめての転職でしたが、自信をもって転職することができました。陸上自衛隊で働いていた頃に比べたらかなり幸せです。こんな仕事に就けて本当によかったと思っています。民間企業は大変なことが多くありますが、楽しいこともたくさんあります。陸上自衛隊の頃には感じることができなかった達成感を感じる毎日です。こんなに充実している日々を過ごすことができて幸せだと思っています。

海上自衛隊を辞めたいけと辞められないのでつらいです

私は、海上自衛隊を辞めたいとずっと思っているのですが、辞められない事情があります。海上自衛隊に入隊をしたのは、20歳のころです。あの頃は夢とか希望に満ち溢れていて、まさかこんな辞めたいなんて思う日がくるとは思っていませんでした。実際に海上自衛隊として働いていると、楽しくないことが多すぎて毎日ストレスがたまるようになってしまいました。おまけに、転勤は二年に一度あります。転勤が多すぎて、せっかくこの土地に慣れることができたと思ったら転勤で、もういやだと思うようになりました。転勤があることは知っていましたし覚悟をして入隊したつもりだったのですが、実際に転勤ばかりしていると、その土地になじむことなく転勤になるので、ストレスがたまってしまい仕方がありませんでした。上司に辞めたいことを相談したのですが、上司は聞き流すのです。真剣に相談にのってくれないのでとてもショックでした。また、私には大切な家族がいます。子供がもうすぐ小学生になります。そのため、これからどんどんお金もかかりますし、簡単に辞めることができないのです。辞めて転職をしたとしても、今くらい高額なお金がもらえる仕事はありません。今の仕事は、仕事内容は楽しくないのですが、定時に帰宅をすることができ、休みもたくさんあり、給料も悪くありません。そのため、奥さんに相談をしても、辞めるなんてとんでもない、と怒ります。でも私は、もっとやりがいのある仕事がしたいのです。営業職でもいいです。もっと向上心をもって取り組むことができる仕事をしたいのです。一生この仕事を続けていなかいといけないと思うと疲れます。さらに、海上自衛隊は定年もはやいので、その後どうしようかも悩みます。こんなに悩む仕事につかなければよかったと毎日後悔の連続です。もっといい仕事が絶対にあったはずだと思ってしまいます。辞められないので続けるしかないのですが、正直つらくて、未来がまったく明るくないです。

海上自衛隊として働いていますが、辞めたいのに辞められないのでつらいです

高校を卒業して、すぐに海上自衛隊に入隊しました。とてもかっこいいなと昔から憧れていたので、入隊できたときはかなりうれしかったのを今でも覚えています。でも今は正直、辞めたい気持ちでいっぱいです。それは上司との関係があまり良くないのと、仕事にもやりがいを見出すことができなくなってしまったからです。すごくつらくて、毎日どうしたら辞めることができるんだろう、と考えてしまいます。毎日制服を着て、堅い職場に通勤することがすごく嫌です。でも、私には子供も奥さんもいます。今さら、辞められないという気持ちがあります。今辞めたとしても、今と同じくらいの給料をもらえる職場はないと思います。子供の将来のことを考えると、自分勝手な理由で辞めることができない、と感じます。上司との関係もあまりよくないので、相談することもできません。おそらく、相談をしてもなんの解決もできないと思います。辞めたいのですが、辞められないので本当につらいです。正直にいうと、もっと明るい職場で働きたいです。今の海上自衛隊としては働いている職場は、たいへんなことがすごく多いです。先輩もとても厳しいですし、楽しいことが一つもありません。笑い声が響くこともありません。明るい場所が好きな私にとって、苦痛で仕方がないのです。理想の職場は、みんなで笑いあったり飲みに行ったり、何でも相談できる明るい先輩がいるような職場です。でも今は、まじめな人が多くて、堅いので居心地が悪いです。職場で笑った記憶が、ここ何年もありません。でも、海上自衛隊のことをかっこいいといってくれる奥さんと子供がいるので、なんとか頑張ってきています。海上自衛隊として働いてもう15年です。今さら転職しても、なかなかうまくいかないことはわかっていますが、辞めたいという気持ちがどうしても出てきてしまいます。海上自衛隊の制服も見るのも最近は嫌です。どうしたらいいのか全くわかりません。